تسجيل الدخول「一ノ瀬瑛理香さん、5番診察室へどうぞ」そう言われて私は立ち上がる。今日は検診を受ける日だった事を家の使用人に告げられ、病院へ来た。ロイゼンデリア国際医療センター、この地域では一番大きな病院の産婦人科。ここの産婦人科は病棟自体も綺麗で、最新鋭の機材が揃っている。勤めている医師たちも一流だし、それにイケメンも多い。私を診察してくれる産婦人科の医師もイケメンで、私は鬱々とした気持ちをイケメンの先生たちで癒しに来たのもあった。「うん、順調ですね」お腹の中の子は既に6カ月を超えている。死んだ私の義姉の子とほぼ同時期に私も妊娠が判明したのには、笑ったけれど。そういえばお母様はあの義姉の子供を取り出したとか、何とか言っていたけれど。(そんなもの取り出して、どうするのかしら……?)そう思いながら私は起き上がり、先生に微笑む。診察室を出て、待合室の大きなソファーに座る。ここは予約制だから、待合室もそんなに混んでいない。いつもは静かな待合室なのに、今日に限っては何だか少し騒がしい気がする。人がパタパタと走り回っていて、落ち着かない。そこで私はピンと来る。これは誰か超有名人か、超大物が病院に来ているんだわ私のこういう勘は外れない。一体、誰が来ているのかしら。こんな大病院をバタバタさせるくらいの人だもの、超大物に決まっている。(少し院内を歩いてみようかしら……もしかしたらその超大物と遭遇出来ちゃったりするかもしれないもの)会計を終えた私はそのまま院内を歩いてみる事にした。人の流れを良く見て、スタッフたちの慌て具合や、小走りになっている人たちを観察する。どうやら病院の奥、人の目に付かない特別病棟にその大物は居るらしく、パタパタとスタッフたちが特別病棟へ入って行くのが見える。特別病棟は誰でも入れる訳じゃない。許可証が無いと入れない領域だ。だから超有名人や超大物たちはそこへ行くんだろうけど。私は人を待つ振りをして、耳を澄ませる。コソコソと話す内容で、何か掴めるかもしれないと思ったからだ。「……全身の検査を……」「……どんなに小さいものも見逃さないように……」緘口令を敷いているんだろう、その人物の名を口にする人間など、居る訳が無かった。(時間を無駄にしたわ……)そう思いながら私は歩き出し、その間に電話をして、迎えの車を呼ぶ。病院の正面で車を待ってい
「美緒様、美緒様」上原さんが私を呼んでいる。返事をしたいのに、頭が痛む。大丈夫、誰も呼ばないで、そう言いたいのに言葉が出ない。すぐにバタバタと誰かが部屋に走って入って来る音が聞こえる。「美緒!」ついさっき、私にスマホを渡して部屋を出て行ったばかりの九条征哉が私を抱き上げる。「大丈夫か? どうした?」優しい声でそう聞く九条征哉に私は顔を歪めて言う。「頭が……痛いの……」涙が出て来る。手が震える。私のそんな手を九条征哉が優しく握る。「大丈夫だ、俺に任せて」九条征哉はそう言って私の額に口付け、私を抱き締める。薄らいでいく意識の中、私の耳には九条征哉の声が聞こえる。「美緒を病院に連れて行く……」◇◇◇腕の中の美緒が意識を失うほんの少し前。「征哉……」俺を呼ぶ美緒の声……。初めて俺を名前で呼ぶ、その声に俺は心が震える。心臓を鷲掴みにされたように苦しく、辛く、そしてこの上なく幸福だと感じる。俺は美緒を抱き締めたまま、言う。「美緒を病院へ連れて行く、車を回せ」美緒を抱き上げ、歩き出す。(一体、美緒の身体に何が起こっているんだ……)足早に歩き、玄関前に付けた車に乗る。「病院だ、うちの息が掛かっているところへ」美緒は世間的にはもう死んでいる人間だ。戸籍上は存在しない。だが美緒の身体の状態を知る為には、以前の美緒のカルテが要る。このまま一旦、美緒を強制的に眠らせ、身体の状態を確認した方が良いだろう。抱き上げた美緒は軽く、細い。抱き締めたら折れてしまいそうな程だ。美緒を抱きくるみながら、俺は言う。「急げ」◇◇◇ロイゼンデリア国際医療センター。車を病院の裏側へ停めさせ、美緒を抱いて院内へ入る。すぐさま駆け寄って来る人物。「九条様」そう言って頭を下げる人物は、ここロイゼンデリア国際医療センターの院長である横山だ。「極秘で入院させる。身体の検査を一通りしろ。本人に悟らせないように、眠らせてからだ」そう言うと横山が頷く。「すぐにお手配を」病院の中を歩き、人目に付かないよう、特別室に入る。美緒をベッドへ横たえると、数人の医師が部屋に入って来て挨拶し、看護師も数人入って来る。「横山」呼ぶと院長が来る。「はい、九条様」俺は数人の医師に囲まれている美緒を見ながら言う。「彼女には事情がある。その事情は知らなくて良い。黙って俺の命
「私のスマホの存在がそんなに重要?」そう聞くと九条征哉が言う。「いや、むしろ無い方が都合が良い」そう言われて私は笑う。(そうれはそうでしょうね)九条征哉は私の頭をもうひと撫ですると言う。「美緒、お前の新しい身分を作る……名は何が良い?」そう聞かれて笑う。「私の希望を聞いてくれるの?」九条征哉が口元をほんの少しだけ緩め、言う。「呼ばれたい名があるなら、とそう思っただけだ」私は九条征哉から視線を外し、新しいスマホへと視線を移す。「何でも良いわ、私はもう一度、死んでるんだもの」そう、一ノ瀬美緒は死んで灰になった。私はもう一ノ瀬美緒としての人生を終えたのだ。スマホが立ち上がる。フッと九条征哉が笑った気がして、九条征哉を見る。九条征哉は私を見て、言う。「新しいおもちゃを貰った子供みたいだな」そう言われて私は視線を外し、寝返りを打って九条征哉に背を向ける。(調べたい事があるのよ、どうしても確かめないと)そう思い操作を始めたけれど、九条征哉は私のベッドに腰掛けたままだ。(いつまでそこに居る気なの?)そう思いながらも私はまるで新しいおもちゃを弄る子供のように、最新のスマホの機能を確かめる。「征哉様、お仕事のご予定が」日下部さんがそう言う。九条征哉は私の背中を撫で、立ち上がると言う。「良いか、ゆっくり休むんだ。これは命令だからな」そう言って歩き始め、途中で足を止めて振り向く。「あ、それから。つけたい名前が思い付いたら教えてくれ」そう言って出て行く。(どういう風の吹き回しなの?)そう思いながら私はベッドの中で新しいスマホを操作し、カレンダーを表示させる。私が確かめたかった事、それは時系列だ。スマホのカレンダーが示す日時。そして私が記憶しているあの夜。どう計算しても合わない。どうして私は記憶が飛び飛びなんだろう。そう考え出すと急に胸が苦しくなる。キンと頭が痛くなる。呼吸が荒くなり、冷や汗をかき始める。私の身体に何が起こっているの? どうして私は記憶が混濁しているの?「美緒様……?」傍に居た上原さんが私に声を掛けて来る。「大丈夫ですか? どこか具合が……?」何でも無い、大丈夫だと言わなければ……そう思っているのに、言葉が出て来ない。頭の中が誰かに改ざんされているような気がする。一体、何なの……どういう、事なの
鎮痛剤を飲み、ベッドに横になる。堕胎手術を受けたのが一昨日だというのに、もう遥か彼方、昔の事のように感じてしまう。「美緒様」呼ばれてベッドのすぐ傍まで来ていた上原さんを見る。「お医者様から追加のお薬を頂いております。貧血のお薬だそうです」そう言われて私は体を起こし、上原さんが持って来てくれた貧血の薬を飲む。自分の左手薬指にはめられている指輪が光る。(冷たい指輪、氷の契約書……私にピッタリね)そう思い、また体を横たえる。鈍い痛みに顔をしかめる。「何かありましたら、何なりと仰ってください」上原さんはそう言って私に掛かっている寝具を直す。私の身体はボロボロだ。無理をし過ぎたかもしれない。本当ならあの療養所で私は自分の無力さを嘆きながら体を横たえ、そして爆発と共に死んでいた筈だった……。そうだ、爆発。あれは結局、華瑛が仕掛けた事なんだろうか。(そうよね、そうに決まっているわ)けれど……じゃあ何故、堕胎手術を?療養所の爆発に乗じて私を殺すなら、堕胎手術なんてしなくても良かったんじゃない?よみがえる、あの言葉。アレはきちんと残しておけアレと呼ばれたのは私のお腹の中に居た子供の事だろう。まだ小さい命……下腹部に手を当てる……ほんの少しの膨らみがあった筈の場所を撫でる。……待って。おかしい。どう考えても時系列が合わない。私のお腹の中の子供は……私の思っている月齢よりも……。痛む下腹部を気にしながら私は寝返りを打つ。上原さんが静かに待機している。「上原さん」呼ぶと上原さんがサッとベッドの脇まで来る。「何でしょう」そう聞かれて私は言う。「何か書くもの……」そう言いながらふと思い付く。「スマホが欲しいんですけど」そう言うと上原さんが少し微笑み、言う。「征哉様に確認を取って参ります」そう言って一礼し、部屋を出て行く。(そうよね……スマホなんて外部へ連絡が取れるものだものね……)九条征哉は欲しいものは何でも言えと言ったけれど、私に自由は与えてはくれないだろう。それに関しては私自身も覚悟はしている。氷の契約のの通り、私は“生きていた”頃の人間とは接触を持ってはならないし、私自身、そんな人たちと接触しようとは思わない。(何か書くもの、の方が良かったわね……)そう思いながら私は豪奢な天蓋を見つめる。部屋の扉がノックされる。「
頭の中が真っ白になる。生きている……。一ノ瀬美緒のお腹の中に居た子供が……。「所在は分かるのか?」そう聞くと日下部が頷く。「既に人をやっています」そう言われて俺は少し考え、そして言う。「美緒には知らせるな、全て秘密裏に進めろ。奪還するんだ、大事な子を」そう言うと日下部が頭を下げて言う。「御意」部屋に一人になり、考える。まだ日が明けてそれ程、経っていない ――普段なら仕事に出向き、退屈な連中を相手に退屈な時間を過ごしている時間帯だ。俺は朝からの激動の動きに少し微笑む。一ノ瀬美緒が俺の人生に現れてから、俺の人生は一変した。あの夜、悪意のある人間の策略だったとしても。一ノ瀬美緒と出会い、関係を持ったあの感覚は、俺のそれまでの人生がいかに退屈だったかを思い知らされる出来事だった。あの夜以降、また退屈な時間を過ごしていた俺にもたらされた一ノ瀬美緒の訃報。失ってしまうかもしれないという可能性について、気付く間もなく失い、俺は喪失感に囚われていたのに。彼女が自ら、俺の元へ飛び込んで来たのだ。そして知らされた事実 ――一ノ瀬美緒は俺の子を妊娠していた可能性があった事、そして既に彼女自身は堕胎手術を受けている事、そのせいでその命は失われたと彼女自身は思っているだろう。その子供が生きているとなれば、それは奪還しない訳にはいかない。美緒の身体はそういう事情を抱えていた訳か……だからあんなに疲弊していたんだと分かると、更に怒りが募る。全てのピースが俺の元に集まって来た。あの夜、一ノ瀬瑛理香と高橋翔太が共謀し、俺と一ノ瀬美緒に関係を持たせた。その根底にあるのは一ノ瀬家の乗っ取りと、一ノ瀬美緒の排除だろう。そして何故、堕胎した後に取り出された命が生かされているのか。一体、何を企てて、何をしようとしていたのか。一ノ瀬美緒はどうやって生き延びたというんだ?その辺りも探りを入れた方が良いだろう。きっと一ノ瀬美緒に手を貸した者が居る筈だ。一ノ瀬華瑛、一ノ瀬瑛理香、一ノ瀬恭介、高橋翔太……全員揃って地獄に送ってやる。◇◇◇一ノ瀬美緒が死んだ。これで私はやっと目的の半分を達成したという訳だ。葬儀から戻って、さすがにその日のうちに一ノ瀬美緒の部屋を片付け始めたら、夫にも、世間にも申し訳が立たない。だから私は片付けたい気持ちをグッと我慢する。
ベッドに横になって少し経った頃。部屋の扉が開いた。上原さんだろうかと視線を向ける。部屋に入って来たの九条征哉だった。しかもサービングカートを自ら押して。「食事を持って来た」そう言われて私は驚きながらも体を起こす。(何故、九条征哉本人が……?)そう思いながら私は半身を起こし、九条征哉が運んで来た食事を見る。「体調が優れないだろうから、体に優しいものを作らせた」そう言って九条征哉は背後に居る日下部さんに頷いて見せる。日下部さんは微笑んで私の居るベッドにベッド用のテーブルを置き、九条征哉がそのテーブルの上に温かいスープを置く。「貧血のようだな」九条征哉がそう言ってベッドサイドに椅子を置き、座る。さっき私が倒れたのが貧血のせいだと思ってくれているなら、都合が良い。「えぇ、昔からそうなの」そう言って私は自分の不調を隠す。「食べてくれ、貧血が良くなるよう、それ用に作らせた」(一体、九条征哉はどうしたと言うんだろう?)そう思いながらも私は鎮痛剤を飲む為にスープを口にする。「……美味しい」言うと九条征哉が小さく頷く。「それで良い」九条征哉はそう言って後ろに控えている上原さんに視線を送る。上原さんはサッと前に出て、真っ白な薬の入った袋を差し出す。九条征哉がそれを受け取り、言う。「鎮痛剤だ」そう言ってテーブルの上にその袋を置く。(そう言うという事は……痛みがあるという事を知っているのね)正直、九条征哉がそんなところにまで気が回るとは思っていなかった。私個人に対してはそれ程、興味など無いと思っていたから。「多田は……処理済みだ」
及川は私を見つめ、頷く。「お嬢様、生き延びてください。それもあなたのお母様の最後の願いなのですから」そう言われて私はポロポロ落ちる涙を拭い、聞く。「私は、何をすれば?」及川が簡潔に言う。「時間がありません。今すぐにお嬢様のお召しになっている服とネックレスを外して頂けますか」及川はそう言って自分の足元にある遺体袋を見る。「この遺体にお嬢様の服を着せ、ネックレスをつけさせます。そうすればお嬢様は死んだ事になり、万が一にも生きている事が知られたとしても、その時にはお嬢様はここから遠い地へ離れている事でしょう」及川は私に紙袋を渡す。「着替えは中に」その紙袋を受け取る。漆黒のワン
目が覚める……。チカチカと視界が霞む。寝かされている場所は……色味の無い部屋……? (ここは……どこ……?)(昨日のあれは……夢だった……?)微かな希望だった。昨日の夜の事は私を襲った悪夢、そう思いたかった。けれど。
お父様のそんな声を転がりながら聞く。お父様がそう怒鳴りながら私に近付く。しゃがみ込んだお父様は私に小さな声で囁く。「美緒」そう言われて私は少し驚く。その声に優しさが滲んでいたから。「よく聞け」そう言う声は低く、雨音にかき消されそうな程で、恐らくは私にしか聞こえていない、そんな声だ。「お前を療養所に送る。そこで大人しくしていろ。騒がず、逃げる事も考えずに、誰とも連絡を取るな」私は赦しを乞おうと言葉を口にしようとして、それでもそれが言い訳にしか聞こえないだろう事を思うと言葉が出ない。お父様は私の腕
「一族の面汚しだ!」土砂降りの雨の中、私は泥の上へ叩き出される。雷鳴が鳴り響き、雷の光がお父様の背後のお屋敷を照らし出す。お父様は私を見下ろしながら私に何かを叩き付ける。「これは一体、どういう事だ!」私の頬に叩き付けられたもの、それは数枚の写真。私の頬に叩き付けられた写真が土砂降りの雨の中に散らばる。その写真には私が男に肩を抱かれホテルの部屋に入って行くところが写っている。しかも写真はそれだけにとどまらず、私とその男が半裸でベッドに居るところまで写っている。(どうしてこんな写真をお父様が持っているの&







